20年前の衝撃的な出会い

 

 

 

九州にとどまらず、集中豪雨による被害が拡大しているのをTVで見ました。本当に被害にあわれた方々は、大変だと思います。一刻も早い復旧を願いたい気持ちでいっぱいです。


そんな優鬱な日本列島、私は、いつものようにブログをかけることに感謝しつつ、日曜日の午後をまったりと過ごしておりますが、、。

 

 

 

 

 

 

 

今回は時代とともに環境も変化して、社会や産業、文化、日進月歩の毎日の中で その時々に衝撃的な出会いがある

というお話です。ネット社会はその際たるものですね。

 

 

 

 

 

先日のブログで書きましたように、元来、絵さえ描ければ良いという絵描きの体質のためか、女性だからなのか、

何が何でも収入を得て生計を維持しなければならない。

という責任感などがなかったせいでしょうか、20年前の私は

自分の描いたイラストや絵画が収入に結び付くということに対する知識とか、アート産業に対する認識が、皆無の状態でした。

 

 

 

 

 

その頃はSNSもありませんので

他のアーティストさんがどんな活動をしているなんてまったくわからない状態で、

ひたすら絵画の代わりにファッション画を描き、オリジナルの小物・服創りをしては自宅SHOPを開催する日々を過ごしておりました。

 

 

 

 

 

 

 

と言いますのも、先に触れたように、地方都市には美術を習得できる場所もなく。唯一大学の被服科で、デザインが学べるということで、

それならよいと両親の許可を得て進学し、

 

その後、

洋裁専門学校へ昼間・夜間合わせて5年通い熊本へ移住しましたので、

洋裁は造形感覚で夢中になって、

家族の服やその他色々作っておりました。

 

それはそれで、とても楽しかったのですが、、、。

 

 

 

 

 


ある日、雑誌を見て始められたという、熊本の超有名な2人組の作家さんたちの作品販売現場に伺って、はじめて、

トールペイントというものに
出会いました。それは今考えても衝撃の出会いでした。
もともと、自分の中にHOUSE(創作の核)がある私。

絵の創作意欲にも火が付き。独学でこつこつ始めました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

熊本のその著名な先生方のトールペイントにおける人気ぶりはすごく

 

多分進取の気性の熊本の土地柄、東京、大阪、

名古屋に次いで早かっと思います。

 



 

 

 


手工芸でトールペイントほどの勢いを持った手工芸には今でお目にかかったことがないほどで、、、。

主婦のほとんどの方が憧れてやってみた工芸でした。

毎月のように展示会が行われ、当時のバブル景気に乗って、ベッドやタンス、家具にも広がりそれはもう華やかな世界でした。

 

 

 

 

 

 


私はと言いますと、やはり慎重で絵が好きとはいっても

知り合いもいない熊本の土地で、

いきなりの教室や作家活動を始めるのは、、多少引き気味で、

何年か勉強してからの、少し遅れての出発でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうこうしているうちに、東京のトールペイントの大手企業さんと取引が始まり、企業主催のコンテストが始まりました。

 

 

 

 

 

その時のニュースレターは記念にとってあるのですが、1997年「ペイントケーション・コンテスト」金賞をいただき感激し 全国区でも自分の画力は通用するんだという励ましをいただき、ますます、のめりこんでいきました。

 

 

 

 

そこからは、創る ~ 教える  というお仕事へ自分が進んでいくのですが、、、。
トールペイントとの出会いは、ホントに衝撃的でした。

 

それは感謝の言葉しかありません。

絵の分野が産業になるんだと、私に初めて教えてくれたもので

 

目からうろこの体験でした。

 

 



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